院長紹介
昭和56年、人形の町浅草橋に開設した宮地歯科を、平成元年に宮地デンタルクリニック柏の葉としてこの地に移設しました。以来、柏の葉公園の樹々とともに年輪を重ねています。得意分野は欠損補綴、つまり歯を失って喪失した機能を補うことです。人の姿勢と顎機能の相関関係をもとに全身と調和した噛み合わせを実現しています。その手段として義歯やインプラントを大いに活用しています。
医療法人社団匡清会
宮地デンタルクリニック柏の葉
院長 宮地 清文
略歴
1951年 4月高知県南国市に生まれ、出雲、金沢 善通寺西宮で育つ
1970年 神戸の私立六甲学院高校卒業
1978年 東京医科歯科大学歯学部卒業
1978年 鶴見大学歯学部歯周病科助手
1981年 台東区浅草橋に宮地歯科開設
1986年 ITIインプラント研修
1988年 柏の葉に宮地歯科開設
1992年 医療法人社団匡清会設立
宮地デンタルクリニック柏の葉
宮地デンタルクリニック浅草橋
1995年 宮地デンタルクリニック浅草橋廃止
宮地デンタルクリニック柏の葉に専念
所属学会・認定医
・日本歯周病学会
・ISOI 国際口腔インプラント学会認定医
・顎咬合学会
・日本口腔インプラント学会
・日本顕微鏡歯科学会
インプラントの歴史と私
1965年 スウェーデンにて
1950年台の初頭に、スウェーデン・イエテボリ大学の医師であるブローネマルクは末梢循環の研究を目的に、人為的に骨折させたウサギの大腿骨に、高価な超小型カメラを埋込み骨の治癒を観察しました。
しかし、最初の実験後、2匹目のウサギに同じカメラを再度使用するために取り出そうとしたところ、カメラは完全に骨と結合して取り出すことができませんでした。
この時、カメラの材質がほとんど純粋なチタンであり、とりわけ骨に極めて親和性があることに着目したブローネマルクは、その偶然の発見を無歯顎の人工歯根として応用する研究に着手しました。
数々の動物実験を経て、その安全性とともに、チタンが骨の吸収を伴わない骨性癒着という形態で結合することを証明し、オッセオインテグレーションと名付けました。
さらに、専門である末梢循環の見地から、骨に最小限の外力でチタンインプラントを埋入する方法を開発し、ブローネマルクシステムとして臨床応用への道を開きました。
さらに、数年間の臨床経過を通して、1977年、咬合力を加えてもオッセオインテグレーションを長期間維持できることも証明しました。
1977年 スイスにて
一方スイスにおいてシュレーダーはブローネマルクとは全くことなる独自の研究をとおして、チタンが骨と結合することを発見し、新しいインプラントとしてシリンダータイプのインプラントを開発し、1977年にITIインプラントとして発表しました。
まったく異なる場所で、それぞれの独自の研究から導き出された結果は、骨と一体化し長期間安定するチタンインプラントであり、以後、チタンを素材とする様々なオッセオインテグレーテッドインプラントが製品化され、今日の臨床に用いられるようになりました。
1982年 トロント会議
1982年のトロントの会議においてオッセオインテグレーションの成功率はブローネマルクインプラントもITIインプラントもほとんど同じであることが示され、世界中でオッセオインテグレーションインプラントが受け入れられるようになりました。
そして、オッセオインテグレーションの定義も「不活性材料が臨床的に問題のある徴候を伴うことなく骨組織により強固に固定され、機能的荷重下においてもそれを持続する状態」と明確にされました。
1986年 浅草橋にて宮地は
1986年当時、私は台東区浅草橋に宮地歯科医院を開業しており、歯周治療と、そのために生じた欠損補綴を主に手がけていましたが、可撤性義歯やブリッジによる欠損補綴に限界を感じつつ臨床を行なっていました。
歯周病の病因は主としてプラークですが、個々の歯に加わる外力も見逃せない要素です。
原因除去療法を行い、最終的には、欠損補綴によって機能の回復をはからないといけませんが、ここで、ブリッジや、義歯を用いると、残存歯に大きな負担を求めなければならないというジレンマに陥ってしまうのです。
当時、スイスのセンザメトウ社の貴金属を使用していて、その輸入代理店である大信貿易が、スイスのITIインプラントを取り扱うこととなり、私は当然のごとくこれを自分の臨床に採用しました。
その後、ITI、ブローネマルクをはじめとするチタンインプラントを4種類てがけてきました。
さらに、最近はハイドロキシアパタイトをコーティングされたインプラントを用いることもあります。
以後、30年を超えた今日まで、必要に応じてインプラント治療を行ってきましたが、常に歯周病との闘いでした。